こどものしろ

発行:No.343 令和3年3月10日発行(25)

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こどものしろ

檜山安東氏城館跡 解体新書
戦国の世の能代を檜山城跡からひも解くぞ!

 皆さんは檜山地域にある「檜山安東氏城館跡(檜山城跡)」を知っていますか?
 檜山城跡は、室町時代から戦国時代にかけて能代を治め、檜山町や能代の町の形成に大
きく関わった戦国大名「檜山安東氏」のお城があった場所なんです!
 檜山城跡はお城があった時代を示すものが良い状態で現代に残っていることや、地域の
歴史を伝えるものとしてとても価値が高いことから、国の指定史跡に選ばれています。
 今回はそんな檜山城跡の見どころや歴史を皆さんに紹介していきます。


●檜山城は自然の要塞(ようさい)「山城」だった!
 檜山安東氏の2代目にあたる安東忠季によって明応4(1495)年に完成されたといわれて
いる檜山城は檜山の地形を利用して作られた土作りの「山城」であることが特徴です。
 檜山城には戦国時代以降に作られたお城にみられるような天守閣や石垣はありませんが、
曲輪や堀切など山城ならではの遺構をみることができます。
 こうした山城の特徴が確認できる場所が今も残されているため、当時お城で生活してい
た人々の生活を想像しながら歩くことができます。



●檜山城跡の見どころをピックアップ!

 檜山城跡の特徴は「山城」であるということ。歩きながら、檜山地域の歴史や自然環境
を一度に感じられます。遺構の保存状態がよいため、少し歩いただけで山城の中にいるこ
とが実感できます。
 今回は広い城跡の中でも城があったことがわかる主な場所をピックアップしてご紹介。
雪がとけて暖かくなってきたら、城跡を歩いてみましょう!

◇中館(なかだて)
 檜山安東氏の主要な地区の1つと考えられる区域。周辺は急斜面になっていて、防御に
適した地形になっている上、中心部には曲輪や腰曲輪がしっかりと作られていて、落ち
着いた空間になっています。

◇将軍山(しょうぐんやま)
 城内で最も高い所が将軍山です。山の下には平らな土地が多くあり、中館に不便さを感
じた檜山安東氏が居館を移転したと考えられています。

◇大堀切(おおほりきり)
 南から攻めてくる敵の侵入を防ぐため、本丸の出入口となる枡形虎口に近づきにくいよ
うに土を掘り、お城の防御力を高めています。

◇枡形虎口(ますがたこぐち)
 お城の中心への出入口に使われていたと考えられるところです。道が狭く、通行を一時
止める機能も持っています。

◇本丸(ほんまる)
 現在も古城と呼ばれる地区で、お城の中心部があったと思われているところです。広く
平らな土地が段々になっていて、柱穴などが見つかっています。16世紀後半よりあとに大
きく整備されたと考えられています。

用語や檜山安東氏の歴史もチェックしてもっと理解を深めよう!


●覚えて見学をもっと楽しく!
 お城用語 虎の巻

【曲輪(くるわ)】
 お城の内外を土塁や堀、石垣などで区分けしたエリアのことを言います。
 曲輪の配置は戦いを有利に進めるために欠かせないもので、主な曲輪の中には城主の館
や戦いに使う塀ややぐらが建てられます。
 お城の中心部に作られる曲輪は「本丸」や「主郭」と呼ばれることもあります。檜山城
の本丸は地元で呼ばれている名前で、お城の本丸かはわかっていません。

【虎口(こぐち)】
 お城や曲輪の出入口として作られたものです。
 お城の出入口は戦いがとても激しくなるところで、敵を城内に入れないために、狭く、
小さく作られています。虎口にはさまざまな種類がありますが、檜山城に作られたと考え
られている枡形虎口は、四角く囲まれたスペースがあり、入ってきた敵を取り囲んで一網
打尽にできる作りになっています。

【堀切(ほりきり)】
 曲輪同士を独立させたり、敵の侵入を防いで移動を制限させるため、道を断ち切ったり
する目的で作られた堀のことです。


●檜山安東氏が関わる主なできごとをご紹介
 檜山安東氏と能代の歴史

◇津軽から能代へ
 檜山安東氏はもともと津軽(青森県)に出自があり、北海道から福井までの日本海交易
で力を持っていた一族でした。檜山に入ったのは1456年で、この時、政季が檜山安東氏の
初代当主となり、新しい国作りを進めることとなりました。

◇檜山城の整備と完成
 第2代当主である忠季は檜山城を整備し、1495年に完成させたと言われています。また、
お寺を建てるなど領地の経営にも努めていました。

◇能代の誕生と檜山安東氏・湊安東氏の統合
 舜季の子にあたる第5代当主、愛季は、人や物の交流の拠点となる場所を作るため、現
在の能代市に港町を建設。1556年に「野代町」が誕生し、日本海各地との貿易で栄えまし
た。
 また、同族である湊安東氏を統合し、道南と出羽(現在の秋田県北部)を治めて安東氏
の全盛期を築きました。

◇湊合戦と能代港の整備
 1587年、愛季が病死し、実季がわずか12歳で跡を継ぎました。しかしその継承に不満を
持った湊安東氏の安東道季が1589年に湊合戦を起こしましたが、実季は檜山城に立て
こもった末、これを鎮圧。
 その後は大名としての地位を確立し、能代港を整備して能代の経済活動の発展に努めま
した。


●檜山城跡の謎を明らかにするため発掘調査を行っています
 檜山城跡のことをもっと深く知ることができるよう、市では整備計画を作って、平成28
年度から発掘調査を行っています。
 調査では1年ごとに場所を決めて土を掘ることでお城がどのようにして作られたのか、
当時生きていた人たちの生活はどのようなものだったのかなどを調べる手がかりを探しま
す。
 調査を進めると、建物などが作られた跡を示す「遺構」や、土器や武器など過去に生き
ていた人たちが使っていた「遺物」が出てくることがあります。これらは地域の歴史を考
えるうえでとても重要でわかりやすい手がかりになります。
 調査でわかったことは毎年報告書にまとめて、ホームページにも掲載しています。ぜひ
おうちの人や学校の先生と一緒に読んでみましょう!


●調査の状況について担当者にお話を伺いました
 今年行った調査では、曲輪を平らに大きく広げていたことがわかったり、これまでの調
査で茶器や椀、皿、すり鉢などの日常の器のほか、武器の破片など、戦国時代の生活や戦
いに関わるものが発掘されたりしたことで、本丸付近の曲輪が檜山城の中でも主要なもの
であることがわかりました。
 これからの調査では城の構造やどんな建物が建てられていたのかを明らかにするために、
曲輪の入り口を探していきたいと考えています。
 調査が一段落したら見学会もやっていきたいと思います。日程が決まり次第、広報のし
ろでお知らせしますのでぜひ来てくださいね!

文化財保護室 播摩芳紀 主席主査


●ひやまこらむ フィールドワークで地域の歴史も学ぼう!
 檜山城跡のほかにも、檜山地域には長い歴史を持つものがたくさんあります。
 檜山のことをもっと知りたい!って思ったら、檜山崇徳館にも足を運んでみましょう。
檜山城跡に関する資料のほか、檜山茶や檜山焼に関する資料などが展示されていて、地域
の歴史が学べます。
 また、市では「調査でわかった能代のむかし」として、小学生向けに檜山城跡の発掘調
査でわかった地域の歴史を紹介する出前講座も行っていますので活用してみてくださいね!

○檜山崇徳館
・時間 午前8時30分〜午後5時15分
    (年末年始除く)
・住所 能代市檜山字霧山下104番地
・問合せ 電話58-3101
○出前講座の申し込み
・問合せ 電話73-5285(生涯学習・スポーツ振興課)


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