のしろ逍遙(しょうよう)

発行:No.1068 平成17年3月10日発行(18)

のしろ逍遙(しょうよう)
歴史と民俗のあいだ(64)

馬の絵(四) 「砂子田・八幡神社(二)」

 同じ砂子田(すなごた)八幡神社にある絵馬です。これは少し早く明治十三年、砂子田の舛屋仁右衛門が奉納したものです。これには額縁がなく、小絵馬(こえま)といわれます。縦四十センチ、横六十二センチです。杭(くい)に手綱(たづな)が繋(つな)がれていて、足を踏ん張って離れようとする馬の姿です。体が前の方に行っているので、見返り繋(つな)ぎ馬ともいうようです。馬を操(あやつ)る人物はいませんが、背当ては赤地に黒糸で格子(こうし)状の模様をつけ、紙垂(しで)、首に巻く赤い房、轡(くつわ)や面繋(おもがい)なども朱に染めています。飾り気の多い献納馬です。馬の絵もしっかりしていて、やはり相当の書き手がいたものと思われます。
 こうした常盤や砂子田に見られる奉納絵馬は、信仰的な要素が強いと思われますが、馬産地としての要素も考えられます。常盤は山谷・大柄の奥、焼山の裾(すそ)まで、放牧地が広がっており、農耕よりも馬産を主としていたようです。特に明治末から駿馬(しゅんめ)は軍に高く買われ、それが刺激になって軍馬の飼育が盛んになりました。また軍から飼育を要請されることもあり、軍用保護馬として気が抜けないという一面もあったようです。軍事協力がこのような形で農村に求められました。しかし農家が馬を飼育する基本は、農耕馬と子馬の飼育にありました。(古内龍夫)

No.1068 平成17年3月10日発行(18)

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