のしろ逍遙(しょうよう)

発行:No.1071 平成17年4月28日発行(18)

のしろ逍遙(しょうよう)
歴史と民俗のあいだ(68)

馬の絵(七) 「向能代・稲荷神社(一)」

 向能代の稲荷神社にある扁額(へんがく)です。横二メートルを超える大きな額で目立ちます。黒馬・赤馬・白馬の取り合わせは前回説明したとおりです。描かれた馬の数も多く、圧倒されます。
 青森県の南部から岩手県の北部にかけて、一戸(いちのへ)から九戸(くのへ)まで戸(へ)の町が隣接しています。室町時代に馬の生産地として設定された地域です。そこはまた、やませの吹く地域で一昨年のような冷害をもたらしました。この戸の地域が馬の成育に適した理由はいろいろありますが、一つはイネ科の植物が生育しやすい黒ボク土が広がっていたことがあげられます。発掘地域の土壌分析で確かめられています。馬の飼料の豊富な草原地帯であったのです。それに加えて、土地の人々は、やませのもたらす塩分が馬にとって大変良かったのでないかと考えています。やませは冷たい海風(うみかぜ)ですが、草原に濃い塩分がもたらされたといいます。東雲台地も広い草原に海からの風が塩分を運び、馬の飼料に有効に働いたと思われます。冷害の陰に恵みもあったのです。(古内)

No.1071 平成17年4月28日発行(18)

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