のしろ逍遙(しょうよう)

発行:No.1075 平成17年6月23日発行(18)

のしろ逍遙(しょうよう)
歴史と民俗のあいだ(72)

馬の絵(十一)「羽立・八幡神社(二)」

 前回と同じ檜山羽立の八幡神社にある絵馬です。母体とありますが羽立は母体村の支郷(しごう)でした。そこの渡部藤吉が長男幸之助と奉納しています。長男の誕生を祝ったのか、健康を祈願したのか、どちらかでしょう。子を思う親の情が伝わってきます。
 絵師は「後素園光保(こうそえんこうほ)七十七歳」とあります。檜山の絵師豊島後素(こうそ)です。後素は五十嵐蠹仙(とせん)の弟子で、通称仲太(ちゅうた)、諱(いみな)を光保(こうほ)、号を都山(とざん)、後素といいました。天保九年の生まれで、この絵馬を描いた大正三年は七十七歳、大正九年に没しています。多賀谷氏の家臣で、戊辰戦争にも出兵、明治になってからは町役場に勤めて明治四十三年に助役で退任し、その後画業に専念しました。蠹仙の弟子ですから、武者絵を得意としていました。ここにあげた絵も奔馬(ほんば)の動きや、それを押さえる御者(ぎょしゃ)の緊迫感がよく出ている絵です。馬は斑(ぶち)に描き、神馬らしくして尻当ての緑の敷布、腹を覆う赤い布を紙垂(しで)に結び、その上に、御幣(ごへい)を挟んだ矢を刺し、小道具に工夫を凝(こ)らしています。馬を曳(ひ)く御者は狩衣(かりぎぬ)姿に小袴(こばかま)を履き、立烏帽子(たてえぼし)をかぶせて、手綱(たづな)を強く握っています。人馬ともに足の運び方や、馬の尻尾の振り方など、絵を引き締めています。簡単な額(がく)を回した大絵馬です。(古内)

No.1075 平成17年6月23日発行(18)

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