のしろ逍遙(しょうよう)

発行:No.1076 平成17年7月14日発行(14)

のしろ逍遙(しょうよう)
歴史と民俗のあいだ(74)

馬の絵(十三) 「鶴形・釣潟神社」

 鶴形の釣潟(つりがた)神社にある絵馬です。釣潟神社には、元亀三年(一五七二)に檜山安東愛季(ちかすえ)が親子馬渡河(とか)の絵馬を奉納していますが、古くは聖観音(しょうかんのん)を本尊とする圓通山廣大寺(えんつうざんこうだいじ)と称していました。別当は東光坊・宝泉院・大應院から、現在の小笠原氏へとつづきます。江戸時代は天台系の寺院から山神社(さんじんじゃ)に改宗し、別当は修験が勤めることになります。愛季の信仰が篤(あつ)かったように、その後も小場(おば)氏や多賀谷氏の援助がありました。明治になって神仏混淆(しんぶつこんこう)が禁止され、さらに神社の合祀(ごうし)がなされると山神社は愛宕(あたご)神社となり、さらに明治末に釣潟神社となります。
 釣潟神社には親子馬の絵馬をはじめ数々の文化財がありますが、左の絵馬もその一つです。天保四年(一八三三)に五十嵐蠹仙(とせん)の描いたものです。蠹仙が江戸での修業を終えて帰ってきた年で、翌年には京都に上りますから、そのわずかなあいだに描かれました。画題は、兄の将軍頼朝(よりとも)と対立し、平泉で非業(ひごう)の最期を遂げた源義経(よしつね)でしょうか。一騎しか描かれていないところが孤独の最期を暗示させます。その表情も緊迫した中に毅然(きぜん)とした雰囲気を醸(かも)し出しているように思います。(古内)

No.1076 平成17年7月14日発行(14)

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