のしろ逍遙(しょうよう)

発行:No.1078 平成17年8月11日発行(10)

のしろ逍遙(しょうよう)
歴史と民俗のあいだ(75)

戦士(一) 「長嶺武雄」

 駆け込み寺で有名な鎌倉の東慶寺(とうけいじ)は、岩波茂雄や西田幾多郎(きたろう)などの文化人の墓が多いことでも有名です。その墓地を奥にたどっていくと、思いがけなく見つけたのは「振武院天外雄飛居士(しんぶいんてんがいゆうひこじ)」とある戦死者の墓でした。その側面を見ると「昭和十九年七月二十三日於能代航空殉死(じゅんし) 行年(ぎょうねん)二十一歳」とあります。
 次兄の秀雄さんに連絡が取れてお話を伺うと、武雄さんは東雲飛行場で訓練中、着陸直後に後続機に追突されて殉死したとのことでした。追突した兵士に配慮して多くを語りませんでしたが、武雄さんは陸軍航空士官学校を卒業した前途有為(ぜんとうい)の青年で、長兄は陸軍少将、次兄秀雄さんは終戦後に防衛大学校の教授をされた軍人一家でした。沖縄の出身だそうです。
 東雲飛行場では多くの若い命が失われましたが、戦場で戦うことを理想としていた若者の命を奪うこともありました。
 武雄さんは戦士になることを決めてからの日誌に「大死(だいし)何日目」と書いたそうです。常に死と向き合う苦悩と、その克服を期する日々でした。
 若者をこのような苦悩の心境に追い込んだ戦争というものを認めることはできませんが、そのなかで真摯(しんし)に現実に向き合った若者の死との遭遇(そうぐう)は、感涙を誘います。(古内)

No.1078 平成17年8月11日発行(10)

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