のしろ逍遙(しょうよう)

発行:No.1080 平成17年9月8日発行(12)

のしろ逍遙(しょうよう)
歴史と民俗のあいだ(77)

力士(一) 「五扇山(ごせんざん)富蔵」

 仁井田・倫勝寺境内にある武田家の墓地に「故五扇山(ごせんざん)富蔵之墓」があり、その碑面に「東京大相撲協会力士」とあります。本名武田富蔵といい、元市議会議員武田正高氏の叔父にあたるそうです。東能代には武田姓が多く、鉄道に職を持つ人が大部分でした。富蔵も十七歳の時、鉄道職員となりましたが、五尺八寸という体格でした。当時能代出身で大関の地位にいた大蛇潟(おろちがた)一行が巡業してきたとき、無理矢理に入門したそうです。その後序の口から序二段へと進みました。錦島(にしきしま)部屋で将来を嘱望されていましたが、不幸にも脚気(かっけ)を患い、二十一歳で亡くなりました。大正五年五月の秋田魁新報にその活躍が紹介されていますが、翌年一月二十一日の紙面にはその死が報じられています。
 その年の大蛇潟一行の巡業のときには、土俵際に供養塚が造られ、餅撒(もちま)きをして五扇山の供養相撲が行われました。
 五扇山という四股名(しこな)は、後に代議士になる信太儀右衛門と俳人島田五空の尽力で、佐竹家の家紋である五本骨の扇に因(ちな)んだ名を使用することを認めてもらって命名されたようです。
 現在の相撲界には秋田県出身力士が少ないので寂しい限りですが、かつては力試しという風習が青年層にあり、神社の祭典では相撲大会も催されていました。力試しは一人前の人間に成長した証(あかし)でもあり、大相撲力士を夢見て入門する青年も少なくありませんでした。青年が自分を鼓舞(こぶ)する心意気を感じます。(古内)

No.1080 平成17年9月8日発行(12)

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