のしろ逍遙(しょうよう)

発行:No.1086 平成17年12月8日発行(14)

のしろ逍遙(しょうよう)
歴史と民俗のあいだ(83)

農林の記憶(三) 「榊米(さかきまい)・田中親政(しんせい)」

 赤沼・稲荷神社の境内に田中親政(しんせい)翁頌徳碑(しょうとくひ)が建っています。大正二年の東北大凶作(だいきょうさく)は、産業組合の育成を推進しました。農家が結集してこの難局を乗り切ることを求めたのです。榊村の産業組合はさまざまな手法を駆使(くし)して、榊米(さかきまい)という銘柄米(めいがらまい)を作り出し、東京などの大都市へ積極的に出荷していきました。
 昭和に入ってからの凶作の時期も、生産者には品種統一や施肥(せひ)の徹底を求め、消費者対策としては乾燥調整で米質を維持するなど、強力な指導を行いました。もちろんそれは一朝一夕(いっちょういっせき)にできるものではありませんが、藤田祐治・袴田玄之助ら歴代組合長の尽力と、それを支えた田中親政の手腕が優れていました。
 昭和五年、田中が組合長になってさらに鋭さを増し、当時米商人として優位に立っていた宮腰常吉・安岡長四郎・藤田富五郎らの名だたる連中を追い越していきます。昭和八年には榊農業倉庫からの出荷量が大半を占めるようになりました。
 その間に、横領事件などのゆがみも経験しながら、田中の指導による榊米の名声は全国に響いたものでした。(古内龍夫)

No.1086 平成17年12月8日発行(14)

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