のしろ逍遙(しょうよう)

発行:No.1088 平成18年1月26日発行(16)

のしろ逍遙(しょうよう)
歴史と民俗のあいだ(85)

農林の記憶(五) 「中川原・越前彦蔵」

 中川原開墾は、野口伊治郎に始まり、藤田成房が受け継ぎ、さらに越前文蔵と彦蔵が活躍しました。文蔵は野口と藤田の頌徳碑(しょうとくひ)の建立発起人となっています。越前家では二代続いて文蔵が中川原開墾に尽くし、別家筋の彦蔵が助けました。
 先代の文蔵は、中川原以外でも果樹栽培を始めた人ですが、彦蔵は文蔵を助けて事業を隆盛に導きました。その活動によって社会的に重きをなし、俳句では島田五空(ごくう)や加藤文舟(ぶんしゅう)らと行を共にし、青年会活動で柳町遊郭(ゆうかく)移転運動をするなど幅広い活動をしていました。中川原組合では、昭和二十三年に永小作権が終了し、それぞれの私有地になったことを記念して、彦蔵の頌徳碑を建立しました。その碑面は「越前彦蔵大人(たいじん)之碑」と柳谷市長が墨書し、毛利敬一石工が刻しています。脇には「秋風や身は野ざらしの五十年 北方野人」とあります。「北方(ほっぽう)」は彦蔵の俳号で、その果樹園を「北方園」とも称しました。
 中川原は蔬菜(そさい)栽培に加えて梨などの果樹も植え、豊かな農園地帯となっていました。「五十年」は彦蔵自身の人生を振り返るとともに、中川原開墾がたどった苦難の歴史を感慨を込めて表現したものでしょう。三本の碑は稲荷神社をふさぐように建っていますが、歴史を語る違和感のない配置です。(古内)

No.1088 平成18年1月26日発行(16)

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