港は貴重な財産です!

発行:No.1090 平成18年2月23日発行(14)

港は貴重な財産です!

能代港の利活用促進について考えていきましょう
 港の活用は、荷役や運送の仕事が生まれるだけでなく、新たな産業の創出など、さまざまな波及効果が期待できます。能代市の産業振興のためにも、能代港の利活用促進は重要な課題の一つです。能代港の現状や利活用促進策について、紹介していきます。
問合せ 工業港湾係 電話89―2187

第1回 能代港の沿革
〜港とともに発展した能代〜
 能代港は、古くは658年、阿倍比羅夫が軍船180隻を率いて蝦夷征伐のため上陸したと言われています。
 能代がまちとしてにぎわいを見せ始めたのは、豊臣政権へ秋田杉材運上が始まった16世紀末と考えられています。秋田杉材は城の建設、家屋、造船などに利用され、米代川流域から運び込まれた大量の杉材が能代港から上方へ運ばれました。江戸時代には北前線の寄港地としてにぎわうなど、日本海側有数の港町として繁栄してきました。
明治40年以降、全国的に有名な秋田木材株式会社をはじめ大小の製材・木工・機械工業が設立され、「木都能代」の名声は海外にまで及びました。
 また、背後地域でも恵まれた鉱山資源などを活用した産業が発達し、能代港は地域の基幹産業を支援する港としての役割を果たすようになりました。
 大正11年に指定港湾となった能代港も、度重なる米代川の洪水による土砂の流出で安定した機能を発揮できず、戦後、米代川の改修工事とともに本格的な整備が始まりました。当初、米代川を航路泊地として利用する計画でしたが予期した効果が上がらず、米代川と本港とを分離するものに変更され、昭和49年5千トン岸壁が完成、待望の開港となりました。昭和54年には1万5千トン岸壁が完成しています。
 一方、エネルギー需要の増大、多様化に対応する石炭火力発電所の立地が昭和54年に決定し、昭和56年には重要港湾に昇格するとともにエネルギー港湾としての施設設備などが行われ、平成5年に能代火力発電所1号機が、平成6年には同2号機が営業運転を開始しています。さらに、平成4年改訂の港湾計画では、大水深岸壁の整備をはじめ流通拠点としての機能充実、産業基盤の拡充など、地域活性化の核としての整備が求められ、平成5年に着手された4万トン岸壁は、平成13年に供用が開始されています。
 そして、現在も港内静穏度確保のための防波堤改良事業など、さらなる機能強化のための整備が続けられています。能代は港とともに発展してきました。今後も、この整備された能代港を十分に利活用することが、地域の発展につながっていくと期待されます。

No.1090 平成18年2月23日発行(14)

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