のしろ逍遙(しょうよう)

発行:No.1082 平成17年10月13日発行(22)

のしろ逍遙(しょうよう)
歴史と民俗のあいだ(79)

教師記念碑(一) 「保坂久吉(ほさかきゅうきち)先生」

 浅内神社の参道入口の左手に「保坂久吉(ほさかきゅうきち)先生謝恩碑(しゃおんひ)」が建っています。基壇の上に台座を置き、その上に高さ一七〇センチの碑があります。『佐竹義和頌徳集(さたけよしまさしょうとくしゅう)』を著(あらわ)した学者・教育家である泰城(たいじょう)小林謙吉が碑文を書いていますが、格調の高い文章です。浅内小学校『創立百周年記念誌』に載っています。
 当時浅内には尋常小学校しかなく、それ以上の高等科教育の必要を感じた保坂先生は、明治二十八年、自宅裏手に塾を建設し、漢学を主体に多くの子弟を教育しました。三十六年に尋常小学校に高等科が設置されて、保坂先生はその教員になりましたが、休日にはなお塾を開いていたそうです。その当時教えを受けた子弟はその恩を感じて、大正九年にこの謝恩碑を建設しました。碑の四隅(よすみ)に石柱を建て、塾に学んだ子弟百二十四名の名が刻まれています。碑文には、その徳を慕(した)い、勉強だけでなく人格的な教えを受けた人は百五十名を超(こ)えたとあります。
 保坂先生の教育熱や、生徒の向学心は盛んなものがありました。明治の学校教育は次第に国家教育に向かいますが、その陰には私塾を認めないという厳しさもありました。この碑は地域の教育の大切さを語っています。(古内)

No.1082 平成17年10月13日発行(22)

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