能代市のプロフィール

市章 

●市章

  能代市の“の・し・ろ”を組み合わせ、日本海の波と白神山地の山並みを表現し、新市の将来像「輝くみらいへ 水とみどりの環境のまち」を表しています。

制作者:佐土正道さん(東京都)
 


●位置・地勢・面積
位置図
 
能代市は、秋田県北西部に位置し、東は北秋田市・上小阿仁村、西は日本海、南は三種町、北は八峰町・藤里町に接しています。また県都秋田市には60キロメートル~80キロメートルの圏内にあります。

 東北地方を縦断する奥羽山脈に源を発する1級河川米代川が市域の中央を東西に流れ日本海に注ぎます。下流部には能代平野が広がり、その両側は、広大な台地が広がり大部分が農地として活用されています。また東南部は、房住山を主体になだらかな丘陵地となっています。西部は、日本海に沿って南北に砂丘が連なり、湖沼が点在しています。

 気候は、四季の移り変わりが明瞭です。対馬暖流の影響により、年間の平均気温は10度前後と温暖ですが、冬は低温で日本海側特有の北西の強い季節風が吹き、降雪日数は平均70日程度あります。

 面積は426.950平方キロメートル(東西約30キロメートル、南北約35キロメートル)で、秋田県の面積の3.7%を占めています。地目別では、山林・原野が25.5%(約109平方キロメートル)、農用地が19.9%(約85平方キロメートル)で、宅地は4.0%(約17平方キロメートル)となっています(令和4年1月1日現在、令和4年版「能代市の統計」から)。
※面積は国土地理院が電子国土基本図から直接計測する方法に変更したことにより平成26年10月1日付けで修正


●能代市の概要

 母なる米代川で固く結ばれた能代市と二ツ井町は、地域の生き残りをかける強い意志をもって合併し、平成18年3月21日に新しい能代市が誕生しました。

 これまで、先人のたゆまぬ努力によって、個性と伝統ある文化や風習が培われ、さらには地域の活力につながる社会基盤も着実に築かれてきました。

 世界自然遺産白神山地と、それに連なる山々、今に受け継がれる風の松原、夕日を鮮やかに映し出す日本海は、地域の誇れる宝です。

 県北地区を横断する高速道路があと数年で全線開通し、エネルギー港湾として発展してきた能代港は、秋田県北部に展開するエコタウン構想や高速道路の開通と相まって、産業物流、観光交流の拠点として期待が高まっています。
 さらに、洋上風力発電事業が能代港港湾区域内及び促進区域で始まっています。能代市は日本の洋上風力発電事業のフロントランナーとして「エネルギーのまち」を推進し、産業振興や雇用創出、人材育成及び地域活性化などの取り組みを進めています。

 令和5年3月には第2次能代市総合計画後期基本計画を策定し、人と人との“和”、地域資源で活力を生む“環”、未来へつなぐ安心の“輪”による「“わ”のまち能代」を将来像に掲げ、「このふるさとに生まれてよかった、ここに住んでよかった」と思えるよう各種政策・施策を展開しています。

 
●能代市の沿革

【古代】
・斉明4年(658年)、阿倍比羅夫(あべのひらふ)が渟代(ぬしろ:能代の古名)に来航した。
・奈良時代宝亀2年(771年)、渤海国の使節が17隻の船で野代(能代)に漂着した。

【中世】
・1400年代後半、安東(あんどう)氏が檜山城を築き、戦国大名として県北一帯に勢力を築く。
・天正19年(1591年)の太閤検地では、ひいの村、とひね村、にふな村、こかけ村、種村、梅内村などが見られ、現在の集落に近い形態が整っていた。
・1600年代初頭、佐竹藩(秋田)が野代に木材移出の役所を設置。大坂・瀬戸内海・北陸の廻船が来航した。1700年代に西廻り航路が盛んとなって、北前船が能代から木材や銅 を大坂・長崎などに運んだ。能代の廻船業者も活躍した。
・元和2年(1616年)、延長12kmに及ぶ岩堰用水によって比井野・薄井の開田が行われる。藩の林政改革により、今に伝わる秋田杉美林の土台がつくられる。
・元禄7年(1694年)、宝永元年(1704年)に大震災にあい、それまでの「野代」は野に代わると読まれ縁起が悪いということで、能(よ)く代わるの「能代」に改称した。

【明治】
・明治9年(1876年)、比井野村と薄井村が合併して二ツ井村となる。
・明治22年(1889年)、市町村制実施により「能代港町」となる。
・明治35年(1902年)、町制を施行し「二ツ井町」となる。
・水戸の井坂直幹(いさかなおもと)(1860年~1921年)が機械製材技術を導入、秋田木材株式会社を設立し東洋一の規模を誇った。木材産業の発達とともに木都能代の名が知れわたる。

【昭和】 
・昭和15年10月、能代港町と2村(東雲村、榊村)が合併し、県内では秋田市に次いで市制を施行。その後、17年に1村(扇淵村)、30年に1町3村(檜山町、鶴形村、浅内村、常盤村)とも合併した。
・昭和30年3月、二ツ井町と3村(種梅村、荷上場村、富根村)が合併、同年12月に1村(響村)と合併し、33年2月に能代市の一部を編入した。
・昭和24年と31年の二度にわたる大火、昭和47年には米代川堤防決壊による洪水、また、昭和58年の日本海中部地震と災害がたび重なる。
・昭和54年に石炭火力発電所の立地が決定。56年に能代港が重要港湾に指定された。

【近年は…】
・能代工業高校バスケットボール部はこれまでインターハイ、国体、高校選抜の全国大会で58回の優勝を果たす。市では「バスケの街づくり」事業を推進し、スポーツを通して街の活性化を目指す。
・平成5年に能代火力発電所が営業運転を開始。翌年には2号機が稼働した。
・平成10年にあきた北空港(大館能代空港)が開港、13年に能代港4万トン岸壁が供用開始。14年に琴丘能代道路が開通し、高速自動車道により首都圏と直結した。
・平成18年3月21日に山本郡二ツ井町と合併して、新「能代市」となる。
・平成18年12月に能代港が総合静脈物流拠点港(リサイクルポート)に指定された。
・平成20年3月に能代市総合計画が策定され、「みんなでつくる“わ”のまち能代」をキャッチフレーズに、各種施策や事業を展開した。
・平成24年3月21日に能代市民憲章及び能代市の花「桜(さくら)」、木「黒松(くろまつ)」「秋田杉(あきたすぎ)」、鳥「雉(きじ)」を制定した。
・平成29年1月4日に能代市役所新庁舎で業務を開始した。
・平成29年6月9日に野呂田芳成さん、加藤廣志さん、小野 喬さん、山田久志さんの4人に市民栄誉賞を授与した。
・平成30年3月に第2次能代市総合計画が策定され、将来像を「“わ”のまち能代」とするとともに、まちづくりの基本姿勢に「真摯」「挑戦」「協力」、まちづくりの基本理念に「幸福共創」を掲げた。
・令和2年3月に能代火力発電所3号機が稼働した。
・令和4年12月に能代港港湾区域内で国内初となる洋上風力発電設備の商用運転が開始した。