檜山安東氏城館跡について ーRegarding Hiyama Andou Clan Castle Ruins Siteー
檜山城跡の概要
安東氏はもともと下国安藤氏として津軽十三湊を本拠とし、同族の湊安東氏とともに秋田湊から十三湊までを支配していましたが、嘉吉3(1443)年頃、康季の時糠部南部氏によって蝦夷島(現在の北海道)に追われました。康季とその子義季は津軽奪還を図りますが果たせず、断絶した宗家を潮潟安東師季(後の政季)が継ぎます。師季は湊安東氏の支援を受けて檜山地方に入り、これが檜山安東氏の始まりとされます。
檜山城跡は、能代平野を西流する米代川河口から約12km内陸に位置します。米代川の支流檜山川を北に臨む丘陵を城域とし、その範囲は東西約1.6km、南北約1kmに及ぶ。最高地点、標高165mの「将軍山」から西に開く馬蹄形(U字形)の尾根が延び、そこに複数の主要な遺構群が構築されています。南側の尾根の古城地区から反時計回りに東側の尾根に「将軍山」地区、北側の尾根に「中館」地区、「高山」地区の各遺構群が連なり、それらは堀切で区画されています。山裾にあたる茶園地区、星場台地区、水ノ口地区、「御料場」には多数の平坦地が造成され、上部の稜線上の曲輪と連絡しています。
(「 」内は地元での呼称です。)
